長嶋茂雄の父親の画像や職業&ミスターにあてた遺言が切ない |

長嶋茂雄の父親の画像や職業&ミスターにあてた遺言が切ない

      2018/10/14

この記事では長嶋茂雄さんの父親について紹介します。

茂雄さんのお父さんは役所で働いていました。昭和の父親像をそのままお持ちの方で、茂雄さんに多くを語る人ではなかったそうです。

野球も好きだったみたいですが、1人で見に行くことが多かったと茂雄さんは回顧しています。

高校最後の夏の試合では、応援には行かないとさえ言っていました。しかし実際には観戦をして茂雄さんの超特大のHRを目撃しました。

残念ながらプロ入り後の茂雄さんを見る前に他界されてしまいますが、遺言がなんだか切ないので紹介します。

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長嶋茂雄の父親の画像や職業

長嶋茂雄さんの父親の画像や職業を紹介します。

お名前は長嶋利(ながしま とし)さんと言います。目元や太い眉毛が長嶋さんにとても似ています(´Д`)

職業は農業をしながら、役場で収入役のお仕事をしていました。具体的には市町村で会計の業務をしていたんだそうです。

写真からではわかりませんが、肌が白かったせいで地元のお祭りでは歌舞伎の出し物で女性役を演じることが多かったそうですね。

休日には歌舞伎を見に行ったり、風呂場で演技の練習を積むなど、練習熱心な側面もお持ちでした。

父親が最後に見たHRが長嶋茂雄の野球人生を決めるものだった?

長嶋利さんはとても野球が好きでしたが、一人で見に行くのがほとんどだったとか。

茂雄さんが高校時代の時には試合に二度見に来たそうです。

高校3年の夏の大会で打ったホームランを外野席でちょうど見ていました。

そして、センターバックスクリーンに飛んだホームランボールが巨人スカウトの若林俊治さんの足元に転がっていきました。

この時のホームランが巨人からのオファーを呼び込び、今後の野球人生を決めるものだったわけです。

しかし利さんがみたHRはこれで最後でした。。

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ミスターにあてた遺言が切ない

無事に立教大学に進学した長嶋茂雄さん。

砂押監督の鬼のような練習に耐えるのか、母から電報が届きます。

『チチキトク スグカエレ』

この電報が届いてすぐに実家に帰った茂雄さんでしたが、、父はすでに危篤状態。

危篤状態の利さんは『野球をやるからには富士山のようになれ』とミスターに遺言を伝えたんだそうです。

利さんはそのまま1954年6月2日に帰らぬ人に。。

ミスターは巨人で富士山のような選手、そして監督になったわけです。しかし、それを言った当の本人が茂雄さんの雄姿を見れないままこの世を去ったのはなんとも切ない感じがします。

病名は心臓肥大症でして、医者からは血を抜くなどの治療しか受けられなかったみたいです。

この時、茂雄さんは立教大1年生でしたから入学してすぐの出来事だったと思います。

ちなみに駆け付けた茂雄さんは過酷な練習のせいか、ひどく痩せていたそうです。

周囲の人も驚いたんだとか?

しかし出棺後に新人戦があるためにとんぼ返りで大学に帰ってしまったそうです。

忙しい日々を送っていると行きつく暇もないとはこの事ですね。

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